ウイスキーのプロモーションビデオで特に好きなものがある。
Johnnie Walker の The Man Who Walked Around The World だ。
映像は青く沈んだ風景の中、バグパイプの音色から始まる。
やがて1人の男が現れ、山道を歩きながらジョニー・ウォーカーの歴史を語り出す。
歩き続ける語り部は、スコットランド出身の俳優ロバート・カーライル。
渋く毅然とした語り口が、ジョニー・ウォーカーの情熱と成功への道のりを見るも者に響かせる。
PVの日本語訳
よう、バグパイパー!
静かにしろ!これはジョンという名前の少年の実話だ。
ただの農家の子供だったが、どこか特別なところがある少年だ:
– きらりと光る目
– 信念を貫くエネルギー
– 弾む足取りある日、やつは散歩に出かけた。
この散歩はやつの父親がなくなったときに始まった。
1819年のことだ。
少年はまだ14歳だった。死別の悲しみのためのカウンセリング?
いや、この時代、若い男はみんな農場や風車小屋、
あるいは炭鉱に送られた。
大変な時代さ。しかし、若いジョンは幸運を手にいれるには十分に賢かったのさ。
生まれ育った父親の農場を売払い、
雑貨屋を始めることにした。
やつにとっては大きな責任だ。
キルマーノックに店を構え、
ドアにはこう書いてあった。
「ジョン・ウォーカー」まあ、ジョニーでもいい。
今では世界中でそう呼ばれているんだからな。あの頃はどこの雑貨屋にも、
様々な種類のシングルモルトが揃っていた。しかし、なんというか・・・
ちょっとばかし出来にバラつきがあった。
ジョンはそんなことには満足しなかったのさ。
いくつかのシングルモルトをブレンドし始め、
いつでも品質を保ったオリジナルの製品を作ったんだ。さて、この小さな芸術作品はたちまちビジネスとなり、
それも大儲けができるビジネスとなった。
大儲けできるビジネスほど、
スコットランド人の心を揺さぶるものはなかったから、
すぐさま蒸留製造の企業家を巻き込んだ産業へと発展した。
ジョンはそんな環境で成功し、やつの旅路に参加した二人の息子、
ロバートとアレキサンダーもそれに続いたのさ。ウォーカー家はこの成長産業の中で最も有名になったよ。
とにかく彼らを止めることは誰にもできなかった。
19世紀の企業買収の流れの中で有名なカルドゥ社を買取った。
金庫、株、そして大量の樽。
やつらの絹のようなシングルモルトが、
いつでも手にはいるようにしたのみならず、
もっと大切なこととして、
他のブレンダーたちの手に
それが手に入らないようにしてしまったんだ。しかし若いアレキサンダーは
スコットランド最大のブレンダーであることだけでは満足しなかった。
そんなのはやつとっては大きな夢じゃない。
ちがう、ちがう。
グラスゴーの船長を説得し、エージェントとなってもらい、
父親のウィスキーを世界中にかけめぐらせたんだ。1860年には、角形のボトルを開発して、
ラベルをぴったり24度の角度で貼ったんだ。「それがどうした?」って思うだろ?
君は間違っているよ。角瓶は割れにくかったし、多くの瓶を積むのにも適していた。
斜めのラベルは、大きな面積を包むことになるし、
それによってジョニー・ウォーカーは
世界中の棚で大きな存在感を持つようになったんだ。ボトルがアイコンとなり、
素敵な液体は地球のどこでも飲まれるようになった。なかなかの人物だったよ、アレキサンダー・ウォーカー。
ミスター・ウォーカー。そしてジョンの孫、
ジョージとアレキサンダー2世がその旅路に加わった。
彼らがブランドを20世紀へと導いたのさ。
1909年には象徴ともいうべき赤ラベルと黒ラベルを完成させ、
当時最高の若いイラストレーター、トム・ブラウンを口説き落とし、
ビジネスランチの席で、
ナプキンに大股で歩く紳士を描かせたんだ。
そのペン先でビクトリア朝の雑貨屋店主は
エドワルド朝のダンディーとなったんだ。1920年には、歩くジョニーは120カ国を駆け巡り、
さらに次の50年も彼は歩き続け、
ブランドの広告塔となった。
グローバル文化の網の中を、
いくつかの暗い戦争の中を、
高貴な人の宮殿の中で、
映画スターによって不滅のものとなり、
映画メーカーたちに祝福され、
歌手、作曲家、小説家・・・
肩と肩をぶつけ合わせる時代を代表するスポーツ選手たち・・・
数え切れない賞をあちこちで受賞し、
ジョージ王には王室御用達の勅許状までいただいた。もう後戻りはなかった。
ジョニーにも、その子孫にも、
後戻りなんて起こるわけがないんだ。20世紀の末には良く知られた赤ラベルと黒ラベルに、
緑ラベル、そして金ラベル。
すべての中で最も高品質な青ラベルも加わった。21世紀のはじめには
ジョニー・ウォーカーは
単なるウィスキーブランドではなかった。
成長の国際的なシンボルであり、
”keep walking”というマントラは
民主主義者や議会のスピーチライターにも使われた。農家生まれのビクトリア朝の雑貨屋に
こんなことが想像できただろうか?
喜ぶに違いないが。農家生まれのビクトリア朝の雑貨屋ではあったかもしれないが、
彼とその子孫に炎のような志に技術と知性があったから成り立ったんだ。200年後も、ジョニー・ウォーカーは歩き続けている。
止まる気配は全くなく。
ジョニー・ウォーカーが飲みたくなり、
ウイスキーの味と香りをさらに深くしてくれるCMだ。
なお、映像の秘話については下記のサイトに詳しい。
・驚愕!6分半のワンカットCM登場。ジョニー・ウォーカー「The Walk」
Johnnie Walker の最安値をチェック
・ブラックラベル
・グリーンラベル
・ゴールドラベル
・ブルーラベル
・プラチナムラベル
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